今日は、グリーフの学校(旧・いのちの学校)ファシリテーター養成講座(以下:ファシ講) 第3期の修了生で、現在はグリーフの学校のファシリテーターを務めている
松野尾浩慈(まっちゃん)の歩みをインタビュー形式でご紹介します。

▼まっちゃんは現在愛知県岡崎市にある明願寺の住職という立場ですが、リヴオンのファシリテーター養成講座で学びをはじめた理由を教えてください。
僧侶として葬儀や法事でご遺族と関わる中で、「本当にこれでよかったのだろうか」と感じることがありました。教えを伝えることや、言葉をかけることはできる。でも、悲しみのただ中にいる方の前で、自分の言葉がどこか空回りしているように感じる瞬間もありました。
たとえば、しんどそうなご遺族に対して、何か励まそうとして言葉を探しても、むしろ言葉が届いていないように感じたり、あるいは「この場で本当に必要なのは、教えを語ることなのだろうか」と立ち止まることもありました。
阿弥陀さまの願いや仏教の言葉を大切に伝えたい思いがある一方で、その方が今必要としていることは、説明や意味づけではなく、ただ悲しみを悲しみとして語れる時間なのではないか。そんな葛藤を感じることもありました。
そんな中でリヴオンと出会い、「正解を与えるのではなく、ともに在る」「安心して語れる場をつくる」「僧侶が癒やす、のではなく、遺族の癒える力を信じる」という考え方に、気づきと共感がありました。
人の悲しみに向き合うとき、知識や善意だけでは届かない部分がある。そのとき、自分自身はどのような立ち位置でいたいのか。知識だけではなく、自分自身のあり方も含めて学びたいと思い、ファシリテーター養成講座に参加しました。
▼講座での学びを通して、大切な方を亡くされた方との関わり方や、ご自身の「あり方」はどう変わりましたか?
以前の自分は、どこかで「答えを提示する」とか、「アドバイスしたほうがよいのでは」と思っていた気がします。僧侶として、何か意味を伝えること、少しでも支えになる言葉を届けることが役割だと思っていた部分もありました。
でも学びを通して、必ずしも答えや励ましが必要なわけではないこと、むしろ“わからなさ“を抱えたまま、その人の悲しみと共にいることの大切さを学びました。すぐに意味づけしなくてもいい。無理に元気づけなくてもいい。答えが出ないまま、その人の語りや沈黙と一緒にいることにも意味があるのかもしれない。そう思えるようになったことは、ご遺族との関わりだけでなく、自分自身のあり方にも影響したと思います。
以前よりも少し、相手の言葉を急がずに聴けるようになった気がしています。
また、こうした変化は、ご遺族との関わりだけでなく、宗派の研修で社会課題や人権、子どもの教化などに関わる場面にも影響しているように感じます。そこでも、「何か正しい答えに導く」というより、参加者それぞれの経験や言葉が安心して出てくる場をどう支えるか、という視点が、自分の中で大きくなったように思います。
▼2020年、ご自身の所属する明願寺で「いのちの学校(グリーフの学校)」を開かれました。そのきっかけは何だったのでしょうか?
学ぶ中で、「これは自分の預かるお寺でも必要な場なのではないか」という思いが強くなっていきました。お寺は、葬儀や法事を通して、多くの悲しみに触れる場所でもあります。でも一方で、その悲しみをゆっくり語る場は、意外と少ないのではないか。
法事や葬儀の場では、限られた時間の中でお話しすることはできても、「実はこんなことを誰にも言えなかった」「今も苦しい」という思いを、安心して言葉にできる機会はそう多くないように感じていました。
だったら、自分のお寺でやってみたいと思いました。
もちろん不安もありました。「お寺でこのような場を開いたときに、どんな反応があるのか。本当に人が来るのだろうか」という気持ちもありました。それでも、「まずはやってみよう」と背中を押してくれたのは、リヴオンの仲間の存在だったと思います。

▼お寺で喪失を大切に扱う場を開いてみて、「お寺という場所」だからこそ持つ力を感じた瞬間はありましたか。
お寺には、急いで結論を出さなくてもよい空気があるように感じています。何かを解決しなくてもいい。すぐに話せなくてもいい。そうした時間や存在のあり方が、悲しみを抱える方にとって、意外と大切なのかもしれません。
また、お寺には、日常から少し離れて、自分自身の心と向き合いやすくなる空気があるようにも感じています。
さらに、お寺は、人生の苦しみや死別について語ることが、必ずしも“特別なこと“ではない場所でもあります。そうした背景があるからこそ、自分のしんどさや喪失を持ち寄りやすい面もあるのかもしれません。実際に場を開いてみて、「ここだから話せた」「お寺でこういう時間を持ててよかった」と言ってくださる方もおられました。
「法事や葬儀の場所」というイメージを超えて、お寺が“人生のしんどさを持ち寄れる場所“になり得ることを、実践を通して感じています。

▼かつての自分と同じように「ご遺族とどう関われば…」と悩む宗教者の方へ、伝えたいことはありますか?
もし、「何を言えばいいのかわからない」「これでいいのだろうか」と悩んでいるなら、それは決して悪いことではないと思っています。むしろ、人の悲しみを大切に扱いたいと思っているからこその悩みかもしれません。
私自身、今も学びの途中ですが、グリーフの学びは、技術を身につけるというより、自分自身の立ち位置や関わり方を見つめ直す時間でもあったと感じています。
何か“正しい対応“を身につけるというより、「人の悲しみの前で、自分はどう在りたいのか」を問い続ける学びなのかもしれません。そうした意味で、「どのような人間でありたいのか」を考えるきっかけになったように思います。それは、僧侶としてのあり方そのものを見つめ直すことにもつながっているように感じています。
同じような悩みや問いを持つ方と、一緒に学べたら嬉しく思います。
2026年6月 開講
グリーフの学校
ファシリテーター養成講座 第4期
名古屋・教西寺で開催|全12講・月1回|定員12名
「自分の地域でグリーフを大切に扱える場をひらきたい」「ワークや分かち合いの進め方を学びたい」――
そんな方に向けて、リヴオンが2012年から培ってきた知識と手法を、約1年かけて体系的にお伝えします。
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お問い合わせ:grief.gakko.liveon@gmail.com
